中国の作物

東西の多くの流浪の民がしたように・・・


ここにも、食用になる野生の草や木の実を指標として、肥沃な土地を求めながら流浪をしている人の群れがありました。


このような人々が、いつともなく黄河の河辺に集まって、小さな集落をなし、石を磨き、粘土をこねていたのは、今から約6000年前とされています。


陳西省、山西省、河南省を中心とした新石器時代の仰紹文化の遺跡の考古学上の発掘は、その頃の生活の一端を知らせてくれます。


『新中国の考古的収穫』の報告にある1949年北京解放後から1960年までの重要な発見にもとづいて、農耕に関係のある穀物や家密の出土を表わしたものがあります。


ただし、年代は、最近の中国科学院の炭素年代の測定他を基準としています。


穀物の出土は決して豊富とは言えません。


出土するアワは、戸外に掘った貯蔵穴に堆積した穀殻とか、土器についた圧痕です。


しかし、小さなアワ粒の形態から、当時のアワが栽培型としてすでに完成の段階にあったかどうかの判定はむつかしいのです。


トウモロコシと人間の絆 3

イネ、ムギ、トウモロコシのような禾穀は、植物体全体の重さ(乾物重)の約30%が子実です。


根部を利用する作物では約50%となります。


・・・ともすれば、この割合を高めることのみが、より多くを収穫することだと考えがちです。


しかし、歴史のなかの作物と人間とのきずなは、この収穫が何であったかを教えています。


それは、収穫物のなかから収穫するといった、二重、三重の収穫でした。


さて、周の民が肥沃な土地を求めてたどりついたのは、岐山の高原でした。


このときの情景を『詩経』の中にある詩の一節は、次のように歌っています。


周の原は撫撫たり。

董茶も飴の如し、ここに始めここに謀り

ここに我が亀を契きたるに、

曰わく止まれ曰わく時に、室をここに築けよ、と。


・・・周の土地は美しく肥沃です。


董という菜も、茶という菜もおいしいです。


そこで亀甲の占いをしてみると、ここに住みついてもよいと吉兆がでました。


この詩の二つの菜は、野生の植物だったでしょう。

占いの星

占いの種本をパラパラめくって、「うーむ、"借金で首がまわらない"ですか?ちがう!では、ズバリ"病気で死ぬ"ですか?あらら、健康なのか、そりゃ残念。

でも、ここに、ほら、象意が出ているんだから、あなたは病気だ。

そう思いなさい」などと教科書を読んでいるようでは逆です。

象意を相手に強引に当てはめてしまうのは、占いをやっている人にはよくみられますが、答えは教科書の中ではなく、目の前にあります。

占いで出てくる星が人生を決めているのではありません。

占いの星は人生の一部を表現しているにすぎません。

身長や体重の値が体型を表していても、数字が体型を決めているのではないのと同じです。

運命の星を強引に当てはめてしまうことを姓名判断ではよくやります。

名前を変えれば人生が変わるというのです。

電話での占いはココからどうぞ。

トウモロコシと人間の絆 2

粒をはずした果穂の芯も燃料です。


果穂を包んでいた皮は、食品の包装、特にタマーレという蒸し料理(トウモロコシの粉を練って、蒸す)には欠かせないのです。


このように畑には何も残りません。


果穂からのぞいている赤毛(雌芯)がありますが、これも薬用としてしまっておきます。


この作物は、穀物と野菜と飼料と燃料とを全部兼ねています。


このような結びつきは、トウモロコシが例外ではありません。


東アジアのアワ、キビ、東南アジアのイネ、中東から中央アジアのコムギ、オオムギについても、収穫される作物は人間生活の隅々にまでゆきわたっています。


日本でも、ここ数十年前は、米とわらくずにまみれていました。


今日でも、米食、ぬか味噌、また米の水を飲み、わら床の上に暮らしています。


そして、年の暮れには、イネのしめ飾りを門ごとにつけて、来たる年をおもうのです。


トウモロコシと人間の絆

未熟なトウモロコシ(ヒローテ)は、柔らかい果穂で、野菜になります。


雄穂の花粉はスープに入れます。


次いで、生食するトウモロコシはエローテと呼ばれ、ゆでたり、炭火にかざして焼くのは、日本と同じです。


トウモロコシは、開花後、病原菌i黒穂病菌に冒されて巨大な腫物ができることがあります。


乳白色の膜を破ると、黒い粉がつまっていて、気味わるくて棒でつついたものです。


しかし、そんなもったいないことはせず、これは市場行きの食物で、クィトラコッチエといいます。


果穂を収穫する頃、葉もほとんど枯れ上がっています。


果穂をもぎとりながら、軟らかい茎の上部を集めて飼料とします。


収穫が一息ついた畑は、天井を失った畑のように見えます。


まわりの風景が白けてくる乾期には、残りの茎を抜き取り、トウモロコシ炊きの燃料とします。


移転価格の仕組み

それは、直接的な国際間の取引に限定されていません。


同一の親会社を有する一国内の姉妹会社間であるとか、税率の差のない国間においても、利益と損失を相殺する日的や開業当初の損失を補填する目的で行なわれています。


そのためアメリカでは、本社のプランナーが、企業所得をアメリカ国外に移そうとする結果、輸出総額の大きな部分が過小価格に抑えられます。


他方で過大価格の輸入が行なわれ、経済的な意味での価格は、もはや存在しない、とさえいわれています。


日本の場合についても同様のことがいえますが、「企業秘密」となっているため、その実態は厚いベールにおおわれています。


たまたま国会で明らかにされた、つぎの事件からその一端をうかがうことができます。


それは1973年におきた日商岩非の材木買占めにおけるものです。


日商岩井は親子関係にあるアメリカの木材業者から材木輸入にあたって、買入れ価格を実勢価格より安く仕切る一方で、日本国内での販売価格は実勢価格で行なったため大幅な利益をあげました。

多国籍企業とタックス・ヘイヴン 3

多国籍企業は、合法、非合法のさまざまな術策を駆使して規制を逃れることができ、その実効はあまりあがっていないといわれます。


リタックス・ヘイヴンの多くは、財務諸表の開示義務も課さず、匿名の使用も認めているので、脱税のための「企業秘密」保持のパラダイスとなっています。


国際租税戦略の文献も、タックス・ヘイヴンとしての利用国を選択するうえで重要な要素は、すべての段階で情報の秘密保持が保証されているかどうかにあるとしているのです。


タックス・ヘイヴンの利用にみられた多国籍企業の国際租税戦略の基本的手法となっているのが、トランスファー・プライシング(移転価格あるいは振替価格)による価格操作です。


それは普通、税率の高い国に存在する子会社には高価格の商品、部品を供給して、その所得を低く抑え、低税率の国にはその逆の操作を行なうことにより所得を蓄積。


企業グループ全体としての税引所得を最大たらしめる操作のことをいいます。


しかし今日では、単に商品の価格操作にとどまらず、サービス、ローン、技術援助費用、市揚開拓費、広告費等を含めたきわめて複雑かつ多面的な様相を呈しています。

多国籍企業とタックス・ヘイヴン 2

日本の税法でも、78年の税制改正で新たにタックス・ヘイヴン対策税制が導入されました。


しかし、アメリカのように海外子会社の法人格を否認することなく、株式の50パーセント以上を保有するもののあげた利益のうち留保された所得を、持分に応じてその所得に合算して課税する方式をとっています。


この改正は今までよりも一歩前進したと評価できますが、まだつぎのような問題点があると指摘されています。


第一に、タックス・ヘイヴン国の判定基準のひとつに、税率25パーセント以下の国ということがあげられていますが、これはいちじるしく低いもの。


フランスの33パーセント、西ドイッの30パーセントと比べてみると、ザルから漏れるものが多くなっています。


第ニに、タックス・ヘイヴン国にある企業であっても、「正常な事業活動を営むもの」について適用を除外している点です。


このため製造業、小売業、サービス業については、そのほとんどが適用をまぬがれています。


また、商社、銀行等については、関連していない企業等との取引が、取引額の50パーセントをこえている等の場合には適用除外となり、取引の内容を手直しするだけで網の目をくぐることが可能となります。


・・・第三に、移転価格について対抗する規定をもっていないことです。

多国籍企業とタックス・ヘイヴン

タックス・ヘイヴンは資金調達のためにも利用されます。


東芝、オリエント・リース、サントリーなどの大企業は海外子会社の資金手当のため、欧米やアジアで起債しています。


これら外債の発行者は、日本にある親会社ではなく、東芝の場合はオランダにつくった金融会社、その他はいずれもカリブ海のオランダ領西インド諸島につくった各企業の金融会社となっています。


もし日本の親会社が直接起債すれば、日本の税法で20%の税金がつくのですが、オランダもキュランー島も利子課税はゼロです。


そこでここに子会社をおき、発行させれば、債券を買う方も税金がつかず魅力的ですし、企業も外資が低コストで手に入るというわけです。


・・・当然、こうしたタックス・ヘイヴンを利用した脱税を封じることが各国で問題となってこざるをえません。


アメリカでは1962年の税法改正で、アメリカ企業が外国で支配する子会社がえた利益についても、本国内でえたものと同じように課税することにし、タックス・ヘイヴンの利用を抑えようとしています。

正座をする生活 5

なぜ、同じ空間にあっても平気なのだろうか、と前々から不審に思っていましたが・・・


次のような説を拝見しました。


ヨーロッパの家では宮殿でもごく近い時代まで便所がなかったのです。


どんな金持の家でも寝室のサイドテーブルの上に用をたす壺がローソク立てといっしょにのせてありました。


そのころの風習ではべつにそれを隠しておくことは考えられていなかったのです。


17世紀の半ばごろから上流の家庭にエレガントな好みがゆきわたって、婦人が専用の化粧室をもつようになったが、その部屋へ寝室用の壺が移されて立派な家具にかくされました。


また、持ち運びのできるバスタブがもちこまれています。


ソファー 通販などでインテリアを見ていると、このようなバスタブもいまだに人気があるようですね。


浴室に便器がおかれたりしているのは、長い時代の風習の名残です。


・・・これもひとつの見方でしょう。


ビデについてもポータブルなものが描かれています。


それにしてもしゃがむから腰かける便器にこんなにはやく移行したのはなぜでしょうか。